
日本は、地震や台風の多い国。全国には、大規模な災害を経験した人が大勢います。同じ災害でも、被災した場所や状況、置かれた立場によって、それぞれが異なる体験をしています。こうした人たちの貴重な体験とメッセージを防災のヒントや教訓として役立てましょう。
ラジオ局アナウンサーの三上さんは、震災直後から現場を精力的に取材し、被災者に貴重な情報を提供し続けました。地震発生の瞬間は、番組に出演するために出勤準備中だったそうです。
現在、セキュア・プランナー(防犯、防災のアドバイザー)として、積極的に啓蒙活動を行っている京師さん。震災当時はマンションに一人暮らしで、大変怖い思いをしたそうです。
震災当時、神戸市役所都市計画局の課長だった片瀬さん。神戸市の復興に尽力し、現在、「神戸防災技術者の会」で技術支援や社会人教育などを行っています。須磨地域の自宅で被災した瞬間は、ベッドごと宙に投げ出され、何が起きたか分からなかったそうです。
船橋さんは、震災時に家具などが倒れて下敷きになりそうになった経験から、今も怖くて枕元には物を一切置かないのが習慣とのこと。地震が起きたのは、目覚まし時計が鳴って起きた直後だったそうです。
当時、要一さんは社会人一年目で一人住まい、由美さんは高校生で家族と一緒でした。それぞれの自宅は倒壊し、それ以来、小さな揺れでも動悸がするそうです。将来子どもたちには同じ恐怖を味わってほしくないと訴えます。
神戸新聞社は、震災後一日も休まず新聞を発行し続けたことで知られています。その立役者の一人、皆川さんがビジネス・コンティニュイティの重要性について語ります。
新潟県中越地震では、家庭や学校などあらゆる建物でガラスが破損し、割れた窓から流れ込む冷たい空気が被災者をさらに苦しめました。被害の大きかった地域の一つ、小千谷市でガラス店を営む目崎さんが、当時の状況を語ります。
高村さんは震災当日、当直勤務で署につめていました。ただならぬ揺れに危機感をつのらせ、通報がなくても仲間とともに進んで近辺の状況確認を行ったり、救助に向かったりしたそうです。
松田さんは、被災した動物を保護し里親を探すなどの活動を献身的に行いました。震災当時保護された動物は1500頭余り。獣医師やボランティアと協力して、そのすべてを守り続けたそうです。
山本さんは、学生時代にボランティアとして震災直後の神戸で救助活動に参加しました。その経験がきっかけとなって、現在、地元で防災ボランティアコーディネーター養成活動を推進しています。
地元の消防団で10年間活動を続けた越川さん。火災時はもちろん、台風時の救援や年末の警戒活動、それに防火設備の点検など日常の活動まで幅広くこなし、現在は後輩の支援に尽力しています。
旭硝子アメニテック(株)の従業員会は、防災活動に積極的に取り組んでいます。特に2005年には、活動テーマの一つに<防災>を掲げて取り組んだそうです。
日本で唯一防災を専門に学ぶ「環境防災科」を持つ舞子高校。「防災を考えることは環境を考えること。環境を守ることは災害を防ぐこと、そして人の命を守ること。」という理念のもと、地球規模で命と環境を考えられる若者を育てようとしています。